伊沢拓司
QuizKnock
アメリカがおかしいのか?みんながおかしくてアメリカはその一例に過ぎぬか?誰かが狂わせたのか?皆が狂いたかったのか?それとも。
オバマケアの時代に大学生だった私は、自由競争とその代償について、今思えば幼稚な進歩史観で学んだ節があった。「大きな物語」の終わりがもたらした複雑な対立は、もはや社会保障では止まらなかったのだ。分断の進んだ今、「アメリカ」という主語は意味を為さぬのではないか。「アメリカとは?」という問いは、一文一語では解答できない。ならばこそ、括られていた個へのつぶさな観察が、「アメリカ」を語る上では欠かせないだろう。思えば『ボウリング・フォー・コロンバイン』も、『ジーザス・キャンプ』も、今に至る個の鬱屈をミクロに描いていたはずだ。ドキュメンタリーの視点が、今こそ必要である。異国の異人か、我々の手本だったものか、それとも我々自身の相似形か。そこにいるのは、誰だ。
ロバート・キャンベル
早稲田大特命教授, せんだいメディアテーク館長
赤と青、保守と革新、共和党と民主党、大卒と高卒、グローバルとローカル、都市部と地方。同じ流れに乗ってアメリカはトランプ支持層と反トランプ層とに、真っ二つに分かれている。近年では、国家をひとつの家に例え、「ナショナル・ディヴォース」(国家的離縁=離脱)と呼ぶほど、その分断を真剣に扱う小説や映画が次々と公開され、ヒットするほどに亀裂は深まっている。厄介なのは、赤い州の中にもリベラルな結節点がある一方、青い州にも、票田こそ小さいものの、広大な農地でMAGAの赤いキャップをかぶる市民が大勢いることだ。明白な境目は見出せず、二つの国に切り分けることは容易ではない。文化も政治も、割れたフロントガラスや裂氷のように、無数のクラックが走っていて先が見えづらい。
中林美恵子
早稲田大学教授, 公益財団法人東京財団理事長
建国250年という節目に、学生の皆さんが「アメリカとは何だったのか」という大きな問いを掲げたことに、まず新鮮な着眼点と意欲を感じています。
アメリカは、自由と民主主義を掲げながら、奴隷制、人種差別、戦争、移民をめぐる対立など、深い矛盾を抱えてきた国です。一方で、その矛盾を告発し、社会を変えようとする力もまた、アメリカ自身の中から生まれてきました。
今日の混乱も、そうした長い歴史と切り離して考えることはできません。映画は、政治や統計だけでは見えない人々の希望、怒り、痛み、葛藤を映し出します。
この映画祭が、アメリカを見つめ直し、日本の未来、そしてこれからの世界を考えるきっかけとなることを期待しています。
鴻巣友季子
英米文学翻訳家, 文芸評論家
いまアメリカ国民は「アメリカ合衆国とは何なのか?」という問いに直面している。
二十世紀以降、世界中の人びとがアメリカに魅せられたのは、文化芸術のレベルの高さ、柔軟な知的吸収力と包容力、その背後にある博愛と平等の理念にあった。実態としては、人種や階級による差別が横行し、経済格差が蔓延していたとしても、表向きはそんな理想の仮面をかぶっていた。それが剥がれてきてしまったのだ。
アメリカの文化帝国がすぐに凋落することはないかもしれないが、英語がグローバル言語としてますます多様化し、文化的拠点が分散しつつあるなか、王座の地位が揺らぐ未来はそう遠くないかもしれないという思いがよぎる。
メディア情報
紹介していただきました!
2026年10月6日
映画ナタリー
日芸映画祭の今年のテーマは「アメリカとは何だったのか」、QuizKnock伊沢拓司も推薦